チャリカゴの葉っぱと机のお花

秋になって葉っぱが木から落ちるシーズンになると、外にほったらかしておいてある私の自転車のカゴには落ち葉がたまってゆく。学校に停めているとまずイチョウが、そのうち名前のわからない広葉樹、家の前に停めているとモミジが。そして普段リュックサックなので私はその葉っぱたちをカゴから取り出すこともせず、いつもカゴの中に落ち葉がいっぱい入ったままどこにでも自転車で出かける。たまに「集めてんの?」と言われる。「落ちてきたのをあえてそのまま入れてるんです」。

ただ出すのが面倒臭くて出してないのをもっともらしい理由あとづけして言ってるだけなのかもしれないけど、ボロチャリのカゴにカラフルな落ち葉が入ってるのはなんか楽しい。時間がたつと縮んで色も変わってきて見た目寂しくなってくるけど、完全に茶色い枯れ葉になったらそれはそれでぐっと感じるものがある。それもずっと惰性で取り出してないだけかもしれないけど。

みんなはカゴに枯れ葉が入っていたらすぐ出すのか。折角偶然落ちてきたのになんか悲しい感じがする。冬に雪が降ったときに(なかなかできないけど)口でキャッチできたら楽しいみたいに。そうそう、自転車のカゴの中の葉っぱも自ら「集めて」はないのだ。ちょっと色を、季節を、自然を、つかまえちゃった。けどそんな大したことでもないっていうこのなんとも言えない感じ。

 話は変わるが花屋で買った花を家にかざっている。大したものではなく、2種類を1本ずつで400円くらい。それを机においているのだが、何と無く雰囲気がとても良い。大きな花でなく立派な花瓶でもないから華やかな感じというよりは全然気取ってない感じで、でもちょぴっとだけ嬉しい気分になる。パソコンをしていて視線を逸らすとすっと目に入るので気持ちが和やかになっている気がする。これもちょっと色を、美しさを、自然を、つかまえた感じかしら。でもこれはむしろ自分からつかまえに行ってるから違うのだろうか、どっちにしろ自然を少しつかまえることができると人間ってちょっと幸せ感じるのでは。幸せも一緒につかまえてるのか。

 

ところで家の中でお花が咲いていると、汚部屋だとお花がかわいそうだという気がしてしまうので部屋がいつもより片付いている。でもそれはカゴの中のイチョウたちをそのままにカゴの中にほっといてある惰性と真逆だなとも思ったり…笑