すごくすごい芸術

歌の歌詞に、論理的には全く意味が繋がってなくて全く理解はできないんだけど何か胸にぐっときて感動することとか、すんごい不可解な展開でどうなってるのかよくわからない小説や映画とかがある。一体全体どうしたらどんな思考になってこんなものを作れたのかしら、て思う。それらのすごい芸術は、作者がいろいろと考えて考えて常人じゃ辿り着けない思考の境地まで考えた挙句にたどり着いたものなのか、論理では説明することができない感情のほとばしり的なものなのか、神からのお告げみたいなものが上から降ってきてただそれに従ったものなのか、もう何も考えずに適当にいろんなものを放り込んでやってみたものに対して私たちが意味があると思ってしまっているからすごいと、あるいは不可解と感じるのか、はたまた作者が実は精神を侵されていてその作品はイっちゃってる狂気の中で生じた、本来なら形となることがありえないものなのか

ピカソの絵や、フロイトの哲学思想もそんなものではないだろうか。いやどれなんだろう。

自分がそれを芸術として享受できれば、作った人の事情は知らなくてもいいのかもしれない。作者が実際は適当にいろんなものを放り込んで見たものにしろ作者の狂気の中で生じたものにしろ、その芸術に自分が感動した、あるいは気持ち悪いと思った、なにかの感情を心に湧かせたということが大事なのかもしれない。

でもなんとなく、お告げが降ってきた/適当/狂気の芸術に感動するのが、めちゃめちゃ考えた/感性や感情のほとばしりの芸術に感動するのに比べてなんとなく損をしているようだと思うのはなぜだろう。その人にしかできない芸術だと思いにくいからだろうか。私たちにも神からのお告げが急に降ってくれば、頭を空っぽにして適当にいろんなものをごちゃ混ぜにしてしまえば、薬を飲んでラリってしまえば、そんな作品が可能になるかもしれないと思うからか。

でもそんなことはしない。多分しないからそんな芸術をすごいと思い、思ってしまうのだろう。そのすごい芸術を作った作者の事情を知らなければ、その事情がどのようであったにしろ、見た時に感じる心の動きは変わらないだろうし。