混迷を極める

寝ること、眠たいこと、夢みることについてのいくつかの考察、、、あーだこーだ思うこと。

 

眠い。どんだけ寝ても寝足りない、という時もあるけど、起きれるけどまだ起きたくない、まだ私をここにいさせて、という時ある。

朝起きてでもまだ暖かい布団の中にいる時間がむしろ夢みたいで好き。まどろみ。

起きたくない。まだ世界に出たくないのかもしれない。現実の世界に完全に越してくる手前のところにまだ留まっていたい。

夢が結構ファンタジックだからかもしれない。一応いっぱしに働いていて仕事の夢も見るけど心の奥を探るとまだおとぎ話の世界を生きているのかもしれない。はっぴーでわんだふるでまじかるな、ピンクとキラキラとふわふわの世界。

 

最近は起きてから出たベッドをベッドメイキングせずに、起きたその立体の形をそのまんまとどめるように触らずに出てくるのが流行っている。自分の中で。

自分が会社に行ってる間もその空間はそこにあって、そのまま帰ってきた後もその世界に入れそうな気がするからかもしれない。

 

まどろんでいる時に稀にある、眠りに戻されてしまってハッと起きて時計を見ると自分が思ったより時間が経っていなくて時が延びたように感じる、あの幸せ。

 

起きた時に夢がほんとだったのか、あるいはほんとに夢だったのかわからなくなることがある。本当に過去にあったことを夢にみることもあると思うから。果たしてその夢は追憶なのか、どうなのか。

あるいはしばらく経った夢と記憶がごっちゃになることがある。かつてみた夢と、かつてあったことがわからない。

そんなことがあったような気もするし、そんな夢を見たことがあるような気もする。遠い記憶が、リアルにあったことなのかそれとも夢で見たことがある気がするだけなのかわからなくなる。上の空でした会話が一番それになりやすい。あの子はああ言ってた気がする、でも記憶が遠すぎるな、、、もしかして夢か?と言った風に。

、、記憶の捏造と、夢で見た感じが多分すごく近いんだ。

でもさらには、夢だったとしても夢に見た時点で一回それは体験したことになる。夢で起きてるから体験したことではあって、夢にも見なかった場合とは違いそれが夢でも自分の現実にも完全に左右してくる。

そこまでいくともう、夢の中の出来事も、ほぼりあるってことなんじゃないかと思ってしまって、ってことは記憶の捏造も同じくらいりあるに思えてくるし、もう一歩行くと、でるーじょなるになるのではないかと混迷を極める、、、。

 

愛してやまないサウンドオブミュージックで、新しい環境に行くマリアが歌う「I have confidence」って曲 の歌詞に

strength doesn’t lie in number,

strength doesn’t lie in wealth,

strength lies in nights of peaceful slumbers

When you wake up, Wake up!

って歌詞があるけど、私は「ん?」て思ってた。強さはどちらかというと例えば、泣き寝入りした夜とか、悪夢に脅かされならがら必死に寝ようとした夜、とか、不安で眠れないまま明かした朝、とかそういったものにlieしてそうじゃない?と思って。栄光の架け橋的な。

でも起きれなくて世界と相対したくなくてファンタジーの世界との間の曖昧なところにとどまりたい、っていう願望を断ち切ってWake Up! するのが強さってことなのかな。夜は夢も見ずぐっすり寝て、朝はすっきり起きる、でるーじょなるでない健康体が強し、ということなのかしら?

もしも万が一、他にこの歌詞が引っかかっている人がいたら、聞いてみたいな。意見求む。