コマ切れの思想

今までの文章たちを集めて形にした。自分なりにはかなり頑張った。

そしたらそれでかなり気が済んだのかあまり思考の泡が浮かんでこないようになった。というか、正確にいうと、小さな泡は浮き上がってくるのだけど、それを育てて大きくすべきだ、したい、という欲が減った。気がする。なので、あまり熟成されていない最近のコマ切れの思想たち。

 

私は気分屋で、気分が上下する。実は自分は安定している方だと今まで思ってきていたが最近思うにはかなり感情の起伏が激しい。楽観的でハッピーるんるんなときや、落ち込んでというよりただただダメダメになってしまって何もしたくないときの差が大きい。自分の管理ができてないなあと思う。ところでうちには小さながじゅまるがいる。名前はがじゅ。一緒に東京にも引っ越してきたし、友人からもらってかれこれ4年になった(!!驚き、、)。この前掃除をしていてふと目に入って眺めていたら、はっと気づいた。葉っぱが薄い、、!!!!と思う!!!確かに、水やりをしばらく忘れていたりしてしまっているし、毎日気をかけたりなんて全くできていない。がじゅ!!ごめん。。!!!!!ああ、、、、。でも、そうだよなあ。植物のコンディションを整えられない人間が、自分のコンディションを管理できるわけないんだよな、、。植物の葉っぱさえ薄くさせてしまうのなら、自分だって薄くなってるわな、、。

 

家の近くで見た文言。Flying Alice and Heavy Children。どういうことだろう、、、。まずFlying Alice?ピーターパンの方が頭に浮かんでくる。永遠に子供で、ネバーランドにいて、軽々と空を飛ぶピーターパンと、ピクシーダストをかけてもらって飛べるようになる、大人になる宿命を逃れられないウェンディたち人間の子供。でもアリスは穴に落ちて不思議の国に迷い込んでしまった女の子。不思議の国にいた、塀から落ちてしまったハンプティダンプティは重たそうだ。Heavy Childrenは重たくて飛べないのだろうか。飛べないのではなく、考え方が固まってるとかそういうメタファーだろうか。でもアリスって飛ぶっけ?アリスってどうやって飛ぶの?別のアリス?、、、

 

日本で売ってる英文字の入った商品の英文ってすっごく変なのがある。Tシャツやトレーナーとか、ポーチとか。英語がわかるようになってから、そんなのを冷めた目で一歩引いて見ては、うわ〜変なの書いてあるの着てるな〜〜って思って着た。文法がおかしいのとかもあれば、青臭いセリフのものもある。ストレートにポジティブすぎるというか。前者は間違ってるな〜って思うけど、後者はなんかださいというか、、。でもある日疲れが取れてない平日朝、会社へ向かう電車の乗り換えの際に前の人が持ってるトートバッグが目に入った。Make Every Day the Best in your Life! ああ、持ってる人のためのくさいセリフではなくって、こういう時にふと誰かの目に止まってその人に元気付けるためにあそこまで妙に自己肯定的なセリフが装われているのかー、なんて妙に納得したり。今自宅の机の上にずっと開けずに置いてある缶のお茶がある。ケバブ屋さんがくれたそのお茶はなんかほっこり優しい。「心が渇けばお茶が良い。一服一福一休み。」

 

体力がない。ずっと外にいたらしんどくて、土日のうちのどっちかの半日以上は家でぐでっとしてる時間がないと、倒れかけている何かがもう一回しゃんと立たない。体力よりはマインドの問題か?マインド/心の問題というか、自分のとっての不足かつ必要要素?体が弱いというよりは自分の時間と場所が必要で、それが補充できないと整わないという弱さなのか。自分を自分に立て直す時間?

 

シャワーヘッド押し込めばもうちょっと入る論。シャワーヘッドを手で持って洗っていたのをその途中で元の位置に戻したくて壁についてるホルダー的なところに入れる。そのままシャワーから水を出す。するとシャワーヘッドの向きが変わっていってシャワーが当たるところがこちらが欲しい位置とずれてしまう。もう一回シャワーヘッドをホルダー的なところに入れ直す。それでもなんかずれていく。なんなんだ、と思いながら何回かのホルダー的なところに入れ直す。シャワーヘッドが勝手に動いて行かなくなるまで何回か入れ直す。たまにはこちらが根負けして自分が位置をずれてシャワーが当たるところに行く。、、のだけど、最近した大発見。シャワーヘッドがずれて行く時、シャワーヘッドをホルダー的なところに入れてさらに下にぐっと押し込めば動かなくなる!!!より固定される!!この年になるまで思ったことなかった。シャワーが動かなくなるまでご機嫌を伺うように入れ直してたのに、たったのちょいと押すだけワンプッシュでこちらの思う次第だなんて!!この発見は概念的になんかいろんなことと繋がりそう。この論は発展の余地あり。