カメラフィルターきらきら

顔を加工できるカメラのフィルターは少し罪悪感がある。そればっかりで撮ってると実際の現実とは違うものが写真として増えて行く感じ。でも、普通のカメラの機能のまま少し彩度をあげるだけだと、風景を撮っても、変な加工もない感じで、写真が綺麗になるし好き。

彩度を上げて全ての色をほんの少しずつだけ明るく見せるのは、動物の耳がついたりだとか、顎が小さくなって目がおっきくなるような加工とは違い、ちょっと色味を足した現実に思える。この両者に実際大した差異はないのかもしれないけど。

もしかしたらこの世界には色彩感覚がすごく敏感な人がいて、そんな彩度をあげたフィルターで撮った写真みたいに、私がいま見えている世界よりも、全ての色が少しずつ明るい世界を見れている人がいるかもしれないな、と思う。さらにいえば、人間の見える色彩の度合いが実はみんなバラバラで、同じ景色を見ていてもそこに存在する物体の色の見え方は実は人によってほんの少しずつだけどみんなそれぞれ違うんじゃないかな、とか。そしたら写真の彩度をあげる加工をした写真も、みんなが色がよりビビッドになったな、と感じるけど、その加工した写真の色もまた人によって微々たる違いがあるものとなる、かもしれない。

アフリカの洋服の記事とか、すんごいビビッドな緑とかオレンジとか黒とか赤とか使ってあったりするのに対して、日本人は淡い色だとか、渋いような色だとか、あまり原色ではないちょっとだけ薄くしたような色が好きだったりするのも、周りの環境だけじゃなくて、そういう感覚も実は何か関係していたりして、、、っていうのは妄想膨らみすぎか。

好きな人ができるとその人に対してきらきらフィルターがかかったり、あとは後輩女子によくある「先輩フィルター」とか、そんな心理的?なフィルターも、見える人にはそう見えているし見えていない人にはそう見えていない。でもそれってその人が好きな時はそのフィルターは恋を加速させてくれたりただただ幸せな気持ちにさせてくれたりするし、もしそれでいつか現実との落差を見つけてしまって残念になったりしたとしても、フィルターかかってた時の、フィルターかかってるからこそ増した、その時の自分の気分のるんるんはなくならないし最高だったんだから。

フィルターってかかってたらかかってるで幸せじゃない?と思って。まあ、顔の周りに何かいっぱいつくのはあまり好きでないんだけど。