電車でお手玉するロボット

某会社のインターンエントリーシートの設問に「あなたが雑誌のコラムを書くことになった、テーマを好きに決めて自由に書け」というものがあった。おもしろいなあと思って、あちらが何を求めているかとかこの設問で何を見ているのかとかは全く考えず、作文を書くように好きに書いて出した。

 

通常は乗らない区域の電車に乗った時にふと考えたこと。

私が席に座っていると、私の向かい合わせに一人で乗っていた小学生が私を見て、足を組んで片腕を曲げるという私のポーズをおもむろに真似ている。私は可愛いものだなあと思いつつ気づかないふりをしながら考えていた。確かに、子供は赤ちゃんの時から大人を模倣して育っていくものだ。小さい子供はなんでも真似したがるし、言葉や基本的な生活動作などは子どもが大人から学んで行くものである。そう考えるとこの電車の中で、その真似をしたいと思わせるような面白い大人はいない。皆が手に携帯電話を持ち、気怠げに操作をしながら画面に見入っている。スマートフォンの中身は他人からは見えず、小さな四角い画面に何が写っているのかもわからないし、それをうつむきがちに覗き込んでいる人間の表情も読みにくい。この光景は子供達の心の成長に悪いのではないだろうか。つまらない、面倒臭い、などという言葉がすぐに若者から出てくるという現象の根源はこういった社会の情景にあるのではないだろうか。かつては新聞を読むおじさんや勉強の手を止めない学生、編み物をするおばあさんなど、もっと様々な光景が見られたのかもしれない。現在でも携帯を触る人ばかりでなく、もっと面白く真似したいと思うような大人がいれば子供達も楽しいだろうに。電車でお手玉や手話など様々な芸を披露するロボットを導入するのはどうだろうか、、。

 

600時制限で598字の攻めの詰め込み。最後は皮肉のつもりね、人間よりロボットの方が面白い存在になってしまうのではないか、という。AIに世界を乗っ取られるとか、そんな恐れを持っている人もいるかもしれないけど、それは起きるとしてもまだまだ先。それよりも子供が見る対象として面白い相手というところでは、もう人間は既に人間が作り出せるプログラムに負けているのではないだろうか。子供にはスマホをいじって一人の世界に入っている大人よりも、自分にとって面白いものを見せてくれるものの方が魅力的に映るのではないだろうか。忙しくて子供にはテレビを見せっぱなし、自分はスマホに夢中の人間よりも、絵本の読み聞かせをしてくれてくれたり、いろんな楽器を吹いてみせたり、変なダンスをしていたり、ケーキのデコレーションをしたり、スライムを作ったり、ドミノをたくさん立てたり、、はたから見て子供が興味を持つようなことをしているロボットを発明したらそれは子供達に人気者になるのではないだろうか。発展した機械学習をできるようになってものすごく賢くなったAIなどの、人間が恐怖している所よりも人の心に訴えかける面白さ、などという「心」が関与するところ、人間が機械には唯一負けないと誇っている領域の方が実は危ういのではないだろうか。