パンと曖昧さと余白

10を言わずに1しか言わない人になりたい、、。

最高に美味しいクロワッサンダマンドを食べて、これを好きそうな子が思い浮かび、今度機会があったらなんでもない日に急に買って持ってってあげよう、と考えた。で、そんなシーンを脳内で生成しながら、なんでそれをあげたいと思ったかの理由が列挙されていく。「あなたはクロワッサンが好きでしょ、さらにはさっくり系のクロワッサンが好きでしょ、そんでメロンパンの上の部分が好きだから、クッキー生地がしっかり乗っている、というかもはや過剰なクッキー生地にクロワッサンが包まれているこれはパーフェクト、でこれを食べて過去一で美味しいと思ったから、いろんなパン屋さんのパンを食べてみるのも好きなあなたにあげようと思ったの!!」

でもそんなの全部言ったら理由が重たすぎてそのクロワッサンダマンドを食べたときに純粋に感じるかもしれないキラキラとした「美味しい」という感動を阻害してしまうんじゃないだろうか。でも、ただ偶々これを買ってきたんじゃなくて、こんなことを思ったから、ほかではないこれをあなたにあげたんだよ、って思う気持ちを伝えないと、逆に何も思われずに、ただのパンとして無感動で食べられてしまうかもしれない。そしてそのクロワッサンダマンドを食べた瞬間にこれはあの子にあげたいとピンときたことや色々を、私だったら全部とは言わずとも多少、喋ってしまうと思う。

でもそんな時にぐっと留まって、10を言わずに1しか言わない人になりたい。10を言ったとしたら、言われて受動的に理解しただろうことに、もし相手が気づかないとしても、いいって思える。相手が気づくかもしれないし、気づかないかもしれない、別のことを思うかもしれない、そんな分のスペースを空けたい。宙に置いた何かを、相手が受け取るかもしれないし、受け取らないかもしれない、使って何か別のことをするかもしれないし、誰かに投げるかもしれない、そんな可能性をたっくさん広げておくことができる人になりたい。子供におもちゃを渡す時だって、どんな風に使うものなのか最初から説明して、その子が自身でそれを自由に使って遊ぶ無限大の可能性を消してしまう人にはなりたくない。

私は割といろんなことを考えたり、思いついたりするけど、その欠点は、せっかく考えたこと、思いついたことをしまっておくことが苦手で、たっくさん喋りたくなってしまうこと。

曖昧なことを大事にしたい、曖昧さや混沌を、白黒つけてはっきりさせてしまうだけでなくて、白黒つけてしまったら掬い切れないようなマーブルや中間色、言葉にできないものを大事にしたい、と日々考えている。、、はずなのに、なかなか自身はミステリアスにはなれない。どちらかというと全てを明るみに出す勢いで何でも相手に言ってしまう。

10を言わずにいること、9も8も言わずに1か2しか言わないこと。それは押し付けがましくならないことで、それは相手がどうとでもできる何もないスペースをあけておくということかもしれない。相手にそんな空間を残しておくことは、自分にはどういう結果になるのかわからないというわからなさ、曖昧さを残してしまう、と言えるだろうか。相手に何にもなりうる余白的な空間を手渡すには、つまり自身が曖昧なものをかかえ持つためには、余裕が必要なんだと思う。

 

パンつながりでつなげて話すと、食パンは焼く派だ。食パンを焼いたすぐ後にお皿にのせると、湯気がお皿との間に挟まって、食パンの下の面がしっとりとしてしまう。それが嫌いだから焼いたパンをお皿に乗せる時に絶対に何かを挟んでおく、という子がいた。私も確かにふちのあるお皿だと、ふちにパンの端を引っ掛けてお皿に下の面がつかないようにすることがある。

でも、それについて考えている時にふと、パンに対して「あ〜きみ、ちょっとしっとりしちゃったのね」って思うと面白くなってきた。手がいつも汗でしっとりしているのをよくからかわれていた同級生を思い出す。そう思うと湿ってしまった食パンも嫌だと思わず、むしろ愛嬌があって愛しくなってきた。他にも、いろんな物体の不具合に人間性を見てとったら嫌だと思っていたことも許せるだけでなくて楽しく思える気がする。

当然のことだが、パンは喋らない。先の話でいうと、「10を言わずに1しか言わない」どころか、0だ。提示されるものは余白だらけどころか、そこには色づいていない何でもできるスペースしかない。それは私が説明を入れれる場所でもあり、空想を入れて楽しめる場所でもあるのではないか、と思う。

喋らないものが世の中にどれだけあるかを考えると、それらが与えてくれる何もない空間も膨大にあるのではないか、と気づく。まだ何もない、けれど何でも生まれうる曖昧で未知な空間は世界中にあって、それは物理的な空間ではない、途方も無いくらい大きな空間、余白なのではないだろうか。その充分すぎる充分さに思いを馳せると、余裕が生まれてくる。自身が曖昧なものをかかえ持つことができる余裕。すると、相手に何にもなりうる余白的な空間を手渡すことがよりナチュラルにできるようになるかもしれない。

こうやって思考はめぐって、パンもめぐる、、?