絵を見ると話もわかるか文を読むと絵も見えるか

 

 他人のことを理解するのは難しい、それはもちろんのこと。アイデンティティーという言葉もよく聞くし、そんな言葉に翻弄されて、自分がどんな人間なのか分からない、と悩む人もたくさんいる。でも、意外とその人の周辺的なモノゴトでその人についてよくわかることもある。友人はその人が流す音楽からその人の住んでる部屋をイメージできると言うし、たしかにその人の着ている服からその人の好きそうな映画を当てれることもある。その他にもその人の読んでいる本やよく一緒にいる友達、話し方の特徴や、他の人が喋っている時の話の聞き方、そういったものからその人についてよく理解することができると思う。それはそうで当たり前かもしれない。でもそれらが音楽と部屋の内装、洋服と好みの映画、といったように互いに連関性があると思う。それがありきで、これがあって、あれがありきでそれがある、という風に、そうなっているのではないか。

私はたまに絵を描くが、こういうことを考えてこういう文章を考えているからこういう絵が出てきて、こういう絵を描く人だからこそこういう考えをするのではないかしら、と思う。私の絵を見たほうが私が話したいことがわかるし、私の文章を読んだ方が私の絵を見てふーんと思えるかもしれない。

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知識を学ぶことについて、よく、点、点、点、そしてそれらがいつかつながって理解できる、といった概念で諭されることがある。他人についての知識も似たようなもので、他人を、また自分をも、理解することは同じような、点をたくさん学ぶところから始めるというプロセスなのかもしれない。

でもあるいはおおきいふわふわしたまるい塊の中にぐっぐっぐと手を埋めていくような感じかもしれない。波がひたひたな砂浜のやわらかい砂の中に足をぐりぐり埋めていくあの感じで。